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第2章 格言はすべて真実か
  世界の各地にはその土地独特の格言が言い伝えられています。さて、こうした人間の言い伝えは当然のこととして誤りを含んでいることがあります。つまり、必ずしも真実であるとは限らないのです。そうした格言の例をいくつかあげてみましょう。
   『嘘も方便』
   『毒を持って毒を制する』
   『老いては子に従え』
一見真実のようにも思えるこうした格言についてゆっくり思い巡らしてみると、嘘や仕返し、また敬意の欠如の正当化のようなものに気づくかもしれません。実際、例えば、次のことわざは正当化や言い訳また負け惜しみに用いられています。
   『垢も身の内』
   『立っている者は親でも使え』
   『師匠のはな負け』
もちろんこうした点については異論があるでしょうし、ここで個人的な見解を押し付けるつもりはありません。ただ、はっきり言えることは、格言だからといって頭から真実だと鵜呑みにはできないということです。このことには同意されることでしょう。つまり、『昔から言うことに嘘はない』という格言は当てにはなりません。

  また、格言の中には、迷信や宗教的な信条また何らかの哲学的な考えを反映したものもあります。たとえば、
   『朝茶は七里帰っても飲め』
という格言は、朝茶は一日の災難よけと信じられていたことによるそうです。もっとも、最近、お茶に含まれるカテキンがガン予防に効果があるなど、その効能か認められてきていますが。いずれにせよ、昔からの格言だから何か意味があると盲信する必要はないでしょう。よく真偽を考えることが大切なのです。盲信は知恵にならず、かえって知恵に反するでしょう。十分に理解し納得したときに真の知恵になるからです。
  もちろん、仏、地獄といった宗教用語が使われていても内容は宗教的な信条を表現しているのではない場合も多いのです。たとえば、
   『知らぬが仏』
という格言は、単に知らなければ仏のようにやすらかな気持ちでいられるということを表現したもの。こうした例えは宗教的信条を表現したものとは違うでしょう。

   いずれにせよ、格言から真に益を得るにはそれが真実か否かを評価するだけの洞察力が求められていることが分かるでしょう。単に、辞書的な意味を覚えても益は限られていますし、数多くの格言を暗記しても役には立たないかも知れません。では、格言についてじっくり考え、一つ一つを正しく評価できるようになりたいものです。
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